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2012年5月24日 (木)

東京紀行 2012年5月 1/3 日本民家園と藝大美術館

東京紀行とは大袈裟な・・・。 静岡県函南町の自宅から毎月のように一週間ほど東京へ行くのですが色々と遊びまわっているので、たまには記録を残そうかと思って。 東京は1958年10月に杉並区高井戸小学校へ転入したのが最初、隣のクラスに伊東ゆかり(本名は信子さん)がいたはずですがキングレコードでデビューした年なので既に私立に転向してたかなぁ。 翌年には小学校の正門前でテレビ番組のロケが頻繁に行われてました。 エキストラに何度も引っ張り出されましたが、黒塗りの高級車の送迎で出演していたのは吉永小百合!です。 そうテレビ映画「まぼろし探偵」。 当時も綺麗でしたが3歳年上の“お姉さん”でした。 1960年4月には「○高から□大コース」と先生方におだてられ中野区立第九中学校に越境入学、以降劣等生で通した私にとっては過去の栄光ですね。 当時の九中の先生方は文部省の言うことをきかず、週刊誌にずいぶん叩かれてました。 
1.日本民家園 昭和45年に就職したが重労働(?)の苦しさに埼玉県北浦和の独身寮を逃げ出して、新宿のサウナや親友のKI君アパートなどを転々としていた私が兄の自宅に転がり込んだのですが、それが小田急線の生田、昭和46年の事です。 120524_11つ新宿よりの駅が向ケ丘遊園、生田緑地の一角に昭和42年開園の日本民家園があります。 17世紀を中心に古民家・他23棟が移築展示されています。 そう言えば1984年のニューヨーク滞在中に州北部の古民家を訪ねた際にガイドが 「Seventeen century」 と何度も繰り返すのが可笑しかった、歴史の浅いアメリカのこと、17世紀(という歴史)が誇らしいのだろうと、皇紀2600年超の我が祖国を思い優越感に浸ったのですが、やっぱ17世紀か・・・。 残されているのは庄屋など裕福な屋敷ばかりでしょうが、それでも古くは畳ではなくムシロ敷きなのですね。 納得したけど・・・寒かったろうなぁ、湿気も辛かったろうなぁ・・・。 

2.藝大美術館(高橋由一展) キャッチコピーが素敵! 120524_2
「ああ、思い出した、あの鮭だ」 そう教科書に載っていた 鮭が吊るされた あの絵 です。 パンフレットも素晴らしい、載っている絵・文章・配置、素人の私が言うのもおこがましいのですが、高価な図録にも匹敵する。 でもね、図録には長さ106cmの あの鮭の絵 が付録で付いてます。 “長良川鵜飼”などの風景画もよかったです。 ※おこまがしい、と入力ミスしてネットで確認したら 「おこがましいの誤り」 とweblio辞書や実用日本語表現辞典にでてました。 親切な事ですねぇ・・・

2012年5月17日 (木)

我が家のこと 薪ストーブを検討中です

我が家の居間には暖炉はありますが、一日の大部分を過ごすダイニング&ファミリールーム(と名付けています)に調理もできる薪ストーブが欲しい。 一昨年ネットで調べたのですが、ストーブはともかく工事費がバカにならないし、適当な設置場所もない・・・ということで妻の賛同が得られず断念しました。 120517_1今年4月に突然妻が言うには 「北海道で脱サラでストーブ業へ転身した人の話があり、ショールームに赤い素敵なストーブがあってピザを焼いてた、これがいい!」 と。 現物をこの目で見たいということで近隣にショールームがないか探したら我が家から車で40分の所(三島市)にFIRESIDE COMPANY.LTDの販売店㈱M産業がありました。
【機種】 社長はお留守で奥様と現物を見ながら相談、サイズや機能からVERMONT CASTINGS社製のENCORE(アンコール)で検討することとしました。 写真上はやや大型のDEFIANT(デファイアント)ですがイメージほぼ同じです。 サイズは(左右に張出した部分を含む)横1032mm、奥行605mm、高さ655mm、重さ159Kg。 単なる「窯」だと考えたら大間違い、触媒による二次燃焼室を持つかなり複雑な構造です。(なのであまり理解できていません) 120517_2ま、薪を足さなくても最大10時間も連続燃焼すると聞いただけで(欲深い)妻は感激しています。 料理も暖房もこれで・・・と(欲深い)妻は考えてるようですが、そう世の中甘くないよキッと。 【設置場所】 ファミリールームの南西の角に決めました。 下見してくれた㈱M産業社長の話では 「煙突が2階の部屋を突き抜ける方が熱に無駄がなくていい」 とのことでしたが、我が家は小屋裏とはいえ3階建て、後のメンテナンスも難しいので唯一の平屋建て部分の南西角にしたのです。 設置予定の場所に大きさが似通った手作りのタオル掛けを置いてみたのが写真中です。 【炉床と炉壁】 防火対策と意匠とで、炉床と炉壁はタイルやレンガを使うことが多いようです。 縮尺1/5の模型を作ったのが写真下です。 合板で枠組みを作り、床と腰高までのシングル(一重)煙突部分はケイ酸カルシウム板を貼って、床はタイル、壁はレンガという案です。 120517_3
工事担当はストーブと煙突が㈱M産業、屋根に穴を開ける部分は大工さん(㈱M産業経由)、炉床と炉壁はいつもお世話になっている工務店さんを予定しています。 ※進展したら続編を掲載します。
来冬は暖炉とストーブ、薪小屋の薪も半減したし不足しそうです。 薪の調達方法をどうするか・・・(思慮深い)私は思いを巡らせています。

2012年5月 9日 (水)

我が家のノウハウ イチゴジャム

4月末、発熱でダウンしました。 当日は10時頃から南側庭やデッキを高圧洗浄機で清掃していましたが、11時頃発熱した時の独特の感覚がわいてきて慌てて作業を中止。 昼食後13時頃には寝込んでしまいました。 それから翌々日までの2日半は横にもなれないほど苦しくって辛い思いをしました。 37℃以上の発熱は15年振り、プロポリス4錠×2回・パブロンゴールドA錠3錠・ナロンエースR2錠×2回、こんなに薬を服用したのは製薬企業に勤務しながら半世紀振り(しかも競合他社製ばかり! 反省しなきゃね)。 私の場合は発熱すると肋間神経痛もどきの痛みがでるのがキツイ、昭和52年頃に帯状疱疹にかかったのですが、その後少しの発熱でも痛みがでるのです。 「ヘルペス菌は死なずに残って体力がおちた時などに暴れる、これを“後(あと)ヘルペス”という」 と聞いていたのですが、正式には“帯状疱疹後神経痛”というようです。 そう、15年ほど前、出張中の名古屋(毎週出張するので名古屋で会社所有のマンションを借りてました)で発熱&痛みで耐えられず、新幹線の座席に倒れ込みながら必死で帰宅した事を思い出しました。 それでも読書だけは可能で、半村良の雨やどり(直木賞受賞作)、ながめせしまに、不可触領域を再読することができました。120509_1  
食欲はまったくなかったのですが発熱翌日に妻が作ってくれたイチゴ&ヨーグルトを食べました。 その時食卓にのっていたイチゴジャムが美しかったこと! 色の深みや輝きが市販のものとは異なります。 苺1パックで1ビンしかできないそうです。 写真の左側がそれ、右側が市販のイチゴジャムです。 で、今回は イチゴジャムの作り方 を1996年6月1日に撮ったメーキングビデオと妻の解説を聞きながらまとめます。 
(1) イチゴ栽培の終盤に韮山近くの農家で売れ残った苺を分けてもらう。 2~3日で熟すから青い苺でいい。  (2) 熟した苺を水洗いしペーパータオルの上で水切りする。 丸のままでは大き過ぎるようであればナイフでヘタを除きながら適当にカットする。 ※苺ヘタ取り機(Strawberry Corer)なんてあるんですね。 (3) カットした苺を鍋に入れ、用意した分の2/3の砂糖でまぶし水が十分出るまで(1~2h)置く。 砂糖は1Kgの苺に対して340g、きび砂糖がベストだが色の着くのを嫌うならグラニュー糖。 120509_2 (4) 水が出たら火にかけ、沸騰したら弱火にし、灰汁(あく)をこまめに除く。 (5) 残りの砂糖を入れて1.5hほどコトコト煮る。 トロトロになったら終了。 冷ましたら煮沸消毒したビンに詰める。 
写真下は南側庭に植えた苺です。 GWの半ばは大雨でしたが、その雨に庭がぬかるんでいます。 苺は11本しかありません、イチゴジャムの材料としては量的に不足ですね。

2012年5月 3日 (木)

我が家のこと 第1話 土地の購入から建築契約

現在の自宅 函南町に土地を購入して早30年、別荘として家を建てて28年、購入の経緯や当時の様子を思い出してみたいと思います。
土地の購入 1980年ごろ、今は亡き兄が家を建てるというので、新宿のホームセンターへ行きました。 そこでフロンヴィルホームズ㈱のアーリーアメリカン様式の邸宅に惚れてしまいましたが高嶺の花でした。 120503_1米国KOHLER(コーラー)社製の黒の便器、白い陶器+金の金具の水栓なんか、よかったな。 1983年に、引退後の終の棲家のつもりで当地(函南町)に土地を購入。('83年10月1日契約) 妻は毎晩のように土地の写真を眺めてはため息・・・、家を立てたくて仕方がない様子です。 そうこうするうち、フロンヴィル㈱の営業担当から電話 「安価な規格住宅を出します」と。 水回りをTOTOに替えるなどで安価にした、でもPella社製の窓のほか階段・手すり・ドアなど米国製も多く使われています。
契約 Since1985 1984年3月30日の深夜から31日0時過ぎにかけて契約書にサインした記憶があります。 当時も多忙で、日本橋の会社に妻から 「営業、設計の人が来て、どうしても契約してほしいと帰らない、営業部長は深夜に来る」 と電話。 当時の自宅は台東区台東2丁目です。 そう書くと悪徳業者のようですが、何のことはない妻が建てたい一心でフロンヴィル㈱と共同戦線をはったというのが真相だと思います。 で、22時頃帰宅し、雑談しながら営業部長を待つことに。 120503_2そうそう営業部長は仏文卒で、私の書棚にカフカ(Franz Kafka)やカミュ(Albert Camus)の本が並んでいるのをみて嬉しそうにしてましたっけ。 我が家のイラストは営業の方が書いてくれて、転居案内に使いました。 
当時の状況 当時の業務日誌をみると、’83年4/12に発足した会計システム(システム名KAOS)の10/11~順次本番、薬品工場生産管理システム開発(システム名KOSMOS、’84年10/8~順次本番)、米国システム開発の準備(システム名KAT’S 初回の米国出張は’84.11/11~など、連日深夜まで仕事し、出張も多い。 システム開発を3つ並行させるのは流石にきつかったですね。 私ごとでも’84年12/1に父が死去、10日後の12日には叔父(父の弟)も亡くなって忘れられない時代です。 そんな中、’84年7/14と9/23の極内輪のテニス大会で優勝しているんですからシブトイ。 テニスは'83年に35歳で習い始め米国出張を期にやめましたが、中級に上がる直前(だと自分では思っていた)で残念ではありました。

2012年4月26日 (木)

大学時代の想い出 スペイン語授業風景3/3

農夫と鍛冶屋 農夫が友人の鍛冶屋に自慢話をする 「春に採れたキャベツは形も色も最高だったよ、先日採れたかぼちゃなんぞはデカ過ぎて運ぶのに苦労した」 鍛冶屋は負けじと言う 「俺が造った鍋を見せたかったよ、そりゃ~デカイ鍋でとても一人じゃ抱えられない」 法螺だと見破った農夫が嫌味を言う 「そんな大きな鍋造って何に使うんだい?」 鍛冶屋は負けない 「お前んとこで採れたかぼちゃを煮るんだよ」

アメリカの農夫とオーストラリアの農夫  アメリカの農夫がオーストラリアへ遊びに行った。 牛を見てオーストラリアの農夫に自慢をする 「オーストラリアの牛は小さいなぁ アメリカじゃあの2倍はあるよ」 自慢話が続き、オーストラリアの農夫はうんざりしている。 そこへカンガルーが飛び出した。 アメリカ人はカンガルーを知らない。 「あれはなんだ?」 オーストラリアの農夫は平然と答える 「あァ あれか、あれは バッタ」

120426_1前回はスペイン帰りの教授の授業風景でした。 彼には救われた想い出があるのです。 後期試験の時間を間違えて、学校に着いた時は試験が終わっていました、後期は結構勉強したのに単位が取れない! P教授の方の単位は既にあきらめていたので一大事です。 遅れたのは承知で試験会場へ向かう途中、答案用紙の入った大きな封筒を抱えた教授が歩いて来ます。 「先生、バスが事故ってしまって遅れました!」 咄嗟にそう言うと 「そうかぁ・・・それは困ったなぁ・・・とにかく僕の部屋へ行こう」 と。 教授の部屋で秘書に 「彼が遅れてね、60分見ててやってくれ、僕出掛けるから」 秘書の監視の下、60分の追試験・・・助かったぁ~ 昭和42年の春、45年前の出来事です、時効ということでお許し下さいね。 

記憶が曖昧ですが、第二外国語の単位はあと1単位必要で、4年の時にラストチャンス。 日本人教授の授業を採ったら何と例のスペイン小話がテキストでした。 クラシック好きの教授に、当時オーケストラに属していた僕は秋の定期演奏会のチケットをプレゼント。 大変感謝され、成績も上々で(同じテキストだもんね)無事単位取得となりました。 スペイン語授業風景1/32/3、3/3、半世紀近く前の記憶ですが、苦学していた時代を懐かしく想い出しています。(ほとんど珍風景の笑い話じゃねえか、よく言うよねェ~)

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